学芸やスポーツの世界の様に、ひたすら一つの課題や分野、競技に打ち込むのは、それなりに人生の美学といえるでしょう。学者や芸術家、スポーツ選手が専門分野以外で、人気タレント的な行動に出ることを、好ましく思わない向きもあるようです。
かつて、スポーツ界で日本一の人気者の長嶋茂雄氏が体調を崩されたとき、私の父宮岡徳次郎が、「長嶋は、野球だけしていれば良かった」といったのを思い出します。すなわち、人気者で有るが為に、本来の得意分野とはかけ離れた、なれない仕事に忙殺され、心身をすり減らした、と判断したようです。
『門外漢』という言葉があります。広辞苑では、「その物事にうとい人」、「専門家でない者」となっています。私は、この『門外漢』といった言葉を、最近聞くことが稀になっています。かつては、高名な学者が専門分野以外の内容について、論評を求められた時などに、「ノーコメント」の代わりに、「私は門外漢ですから」と言い換えていたように思います。
そのような、謙虚な態度が好ましく思われた時代背景もあったようでもあり、高名な学者がうっかりと間違った論評を加えた場合、「晩節を汚す」事への、予防措置でもあったようにも、今になっては、理解しています。
本日の寒暖の変動に激しい天候のように、私にとっては、周囲の人々の環境が様々でした。概ね言葉控えめにすごしましたが、ぞれぞれの人、またそれぞれの団体が、独自の論理に基づいた論理を前提に話がすすんでしまいます。
私宮岡治郎は、多元的な価値判断を、それぞれ尊重し、方便としてそれぞれの意見の一定の「同調」を示すことにしています。本日の朝から晩までの煩雑な用事は、時間的にも忙しく、昼食の時間もありませんでした。
しかし、私も単に「方便」の段階に止まらず、私なりの究極の「真理」に多くの皆さんのご理解を得たいと考えています。現代社会では、あまり謙虚であることは、美徳とされないようです。この事も手伝って、私も政治的な信条については、あまり遠慮」せずに披瀝しようと考えています。
私は、「日本国憲法」を重んじ、理性と法に基づく社会の秩序を維持伸張し、最大多数の最大幸福を目指す、といった基本で、個別具体的な課題に取り組んでいます。時折、それに敵対する勢力との政治的な抗争もあるのは事実です。
それがどのような勢力であるのか、「公然と事実を摘示」することは、名誉毀損の構成要件ともなり、このブログ日記にも馴染みません。が、殊更自由な発言を封鎖する勢力、アジアとの友好親善を阻害する勢力、国際競争を盾に社会的な格差を生み出す勢力、一部の人々や団体の無意味な贅沢に奉仕する勢力、などなどが私にとって、敵対する勢力といえるでしょう。
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