真に人類の進歩や調和、存続に資するものであるならば、地球上のいかなる地域であろうと、いかなる時代であろうと、その行為や学芸作品は、「人類にとっての、万代の遺産」として、後の世に存続するでしょう。特定の言語で書かれた文章は、各言語に翻訳されて普及するものです。孔子の言行録『論語』、シェイクスピアの一連の戯曲、ゲーテの詩などがその好例として、真っ先に例示できます。
入間市の博物館に、近代中国の『国父』孫文の書簡が保存されています。入間市地域出身の衆議院議員粕谷義三が衆議院議長在任中に、孫文が友好親善を目的に粕谷に送ったもので、自分の腹心の将軍を代理で日本に差し向けるための紹介状でもあります。孫文自身は特別歴史的に名を残すほどの「書家」であったわけでは有りません。
しかし、人類の歴史上もっとも肯定的な定評の下されている孫文という偉大な人物の書簡が、入間市地域出身者宛に送られた事実、そしてそれを動かぬ日中友好の証拠と意識したかしないかは別として、我が入間市が公的に保管し保存してきた事実を背景に、中国の友好都市との交流を盛り上げる手段・材料として活用できるならば、これに勝るものは無いでしょう。
本日首尾良く、来月5月上旬に中国の奉化市への訪問旅行に、加われる可能性が広がりました。孫文の墨痕鮮やかな署名のある書簡の写真を携行して、先方の出来るだけ上級の要人、あるいは有識者、すくなくとも良心的な人物に提示したいと願っています。
孔子は、その言行録『論語』によれば、「五十(歳)にして、天命を知る」と語ったとされています。私宮岡治郎にとって、「万代の遺産」である「孫文からの書簡」を、奉化市側に非公式ながら提示する行為は、53歳にして遅れ馳せながら課せられた、「天命」であるのかもしれません。
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