政権は看板だけを取り替えて、存続させる場合があります。かつての自民党単独政権では、「不都合な事実」を払拭するため首相・総裁の交代で、政権の土台を温存して、しのいだ事もあります。
今回の日本の政権交代は、看板も内容も交代しているといえるでしょう。昭和初期の、政友会と民政党との政権交代、戦後の保守勢力政権の合間の片山・芦田内閣、そして自民党を野党とした、細川・羽田内閣の成立に、その先例を見出すことも可能でしょう。
徳川幕府が実質的に、1603年から1868年の明治改元まで、2世紀半存続したのは事実でしょう。徳川幕府といった看板は確かにそのようです。ところが、内実としては、有力な将軍が、御三家の別系列から就任した、八代目の紀州吉宗のときに、政権交代があったと理解するのが適切である、と本日ある方の助言によって理解しました。
享保の改革は、紀州藩を始めとする、上方、関西方面からの出身者が幕政の中枢に参画した、新政権であったようです。この政権は「新田開発」に積極的で、その前提として、治水事業について、従来では洪水時に「越水」前提としたものを、洪水の越水を許さず、連続堤で流路を固定し、下流に一気に流下させるものとなったようです。
江戸時代の「政権交代と治水」で、その後今日に至るまで続く技術体系のようです。農業生産力は増大したものの、人工的な河川の形態が、様々な治水ダムの必要性を惹起しているとも、自然環境への負荷を増大させている、とも受け取れます。
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