各論的具体例を挙げて、寺田寅彦の自然科学および社会科学、人文科学からの、観察力の鋭さを示したいと思います。
まず社会科学的な観察として、マスコミ批判があります。対照は新聞ですが、「・・・事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも読者のために「感じを出す」ことの方により多く熱心である。・・・」として、「悪意は少しもなくて」読者をだますのが「テクニック」なのである、とやんわりと指摘しています。
列車の途中、三島駅から大勢乗り込んだ青年団で満員の様子を、人文科学的に群集心理の観察対象とし、「・・・一人くらいは「豪傑」がいて、わざと傍若無人に振舞って仲間や傍観者を笑わせたりはらはらさせるものである。」、と普遍化しています。
本職の自然科学者としては、決して物理学等の専門用語は遠ざけているものの、木造二階建家の石造の門が、木造部は平気であるのに、石造の部分だけが毀れていいるのを、「必ず毀れ落ちるように出来ているのである。」とあり、別の箇所でも「天然は実に正直なものである」と論じています。
この碩学は、無為自然を説く「老荘思想」を基盤として、時代の最高水準を行く科学者の知性と、感性豊かな観察眼で、一種の文明批判を行っています。
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