医者が患者に薬を処方した場合、予め薬の患者に及ぼす効果について判断出来なくてはならないでしょう。「効果判断」とは、単なる薬の「能書・効能書き」だけではなく、個別の患者の病状や体質、年齢や既往症、勿論他の持薬との飲み合わせも考慮したものとなるでしょう。
政策についてでも、取り分け政治の局にある者は、公務員や政権側の政治家は、一通り身に付けなければなりません。のみならず、野党側政治家も、「お手並み拝見」とか「政権の政策に機械的な反対を唱える」だけでは、政治的な責任を全うしたとはいえないでしょう。
ところが、効果判断を国民の生活ではなく、世論の表面的な反響といった面だけで捉える、政治家が増えているようです。次の選挙や政権維持を主眼とする政権内部で、近頃顕著になっています。
自己の政策の妥当性や正当性を堂々と国民(有権者)に訴えるのではなくて、むしろ政策の負の側面や都合の悪い(少なくともマイナスのイメージをお受ける恐れのある)事実を隠蔽することに終始します。これは、上意下達の組織や人事権で掌握された組織で、弊害が増幅されるようです。
組織内での栄達や左遷は、国民ではなく組織内のトップの判断(往々にして恣意的な判断)で決定されるからでしょう。この組織内での理不尽な人事圧力の症候群が、下部組織の政治家や公務員達の過剰適合によって、更に増幅されて作用する場合もあるようです。
また政治家の中でも、「勝てば官軍」との発想の元、自己の妥当性を欠く政治内あるいは政治外の行動について、いわゆる揉み消しに走る輩が少なく無いようです。
更に、困るのは概ね妥当な政治活動や言論活動を、様々な詭弁で封殺しょうとする動きです。そのカテゴリーを例示しますと次の通りの切り口となります。これらは、地位を利用した圧力を伴います。
①発言の文脈を無視して、あるいは理解せずに、片言隻句だけを取り上げて、国民の「誤解を招く可能性」があるとするもの。②実態の伴わない建前を引用して、建前通りに実態が機能していないと指摘する言動を、ごり押しで封殺するもの。③特に問題は無いが、第三者に迷惑がかかる可能性がある、として黙秘するもの。④基本的に前提の異なる先例を無理やり当てはめようとするもの。等等。
国民の側に、単に皆がそう言うからではなくて、健全な悟性が確立されていれさえすれば、これらの誤魔化しは、立錐の余地も無いことです。
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