「蘭学事始め」の偉大な先例の顰(ひそみ)に倣えば、今の私は、「チベット学事始め」といった状況です。
24日(金)に、亡命チベット人の方の講演を聴く予定になっており、世界史で、中国の歴史に連動して多少は学習した「チベット」について、予備知識が不足では拝聴する意味が無いと判断し、初歩的な学習を開始しています。
かなり差別的である「〇〇のチベット」、といった比喩的な表現を思い出します。辺境の地とか、文化果つる所として、日本国内の一定の地域を示したり、自治体で都市基盤整備や経済の活性化から取り残された地域を示しているようです。
現在、中華人民共和国の版図としての「チベット自治区」ではなく、「チベット」という独立した文化圏として、「学」の対象と考えています。
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