能動的であっても、受動的であっても、計画的であっても、偶然であっても、仕入れた情報はその後の処理が大切です。
生の情報を客観的に分析する。その分析結果を適切に判断する。そして、その判断を現実に即して、最良・最善に応用する。これが社会の向上に資する者の必要条件でしょう。
たとえ多くの情報を仕入れても、その中から根幹となる重要事項を取捨選択する能力、歴史認識を踏まえた超時代的で普遍的な判断基準、そして、現実認識の上に、最良に適用出来るだけの、健全な悟性が揃わなければ、情報は意味を成さぬどころか、かえって社会に仇をなすでしょう。
あまり補足的な説明の無い又聞きの内容等を、かなり大きく外れて解釈を行った上で、特に悪意も無く、結果的に独自の珍説を「でっち上げ」てしまう人もいるようです。
こういった場合、私が徐々に事例や制度などを示して、それとなく徐々に誤解を解こうとしてさえも、「思い込み」の深さ故に、なかなか軌道修正が出来ないようです。
が、そもそも軌道修正には、柔軟な思考力と、「珍説」が実態や常識とあまり懸離れていないことが、前提条件のようでもあります。
自分自身が、歴史と地理の座標上のどこに位置しているかが分かれば、自分がどのような主観で判断して、客観性からどのように遠ざかっているか、などが理解出来るでしょう。
なんとなれば、判断力は、自分自身を知る手段でもあるからです。
コメント