入間市の姉妹都市、ドイツのヴォルフラーツハウゼン市の中心部の一画に、『ナントヴァイン』(Nantwein)という地区があります。
私が、20年前の1991年の公式訪問の際にも、風変わりな地名として意識していた地名で、「ナント」という「葡萄酒」の原料の栽培地かと考えていました。
13年前の1998年、当時の入間市議会『保守系クラブ』の一員としてヴォ市を視察しました。その視察内容の一つとして、ヴォ市の市営墓地を訪問した際に、同地名の来歴が判明しました。
訪問それ自体の目的は、ヴォ市の前任の第一市長で、急逝したフィンスターヴァルダー氏の墓参でした。先方の遺族が立ち会ったわけでもなく、かなり当方の思いつきの側面が多々ありました。私も、視察幹事として、献花の手配などに手間どった記憶もあります。
それでも、私にとっては、得るところの多い催儀式となりました。
市営墓地には、『聖者ナントヴィヌス』(Sankt Nantvinus)の像が、祠の中に描かれていました。それについて、使節団に同行し立ち会った第三市長のランゲ医師の解説で納得しました。
大昔、キリスト教の伝道師として、おそらくローマ方面からはるばる、文化果つる未開の当地にやって来たナントヴィヌスは、布教活動を始めたものの、「野蛮な」地元の人々の迫害で死去しました。
それでも、死後、ナントヴィヌスが殉教した伝道師であることに気付いた人々は、悔い改めて祭り、聖地を『ナントヴァイン』とし、墓地としたという事です。
宗教家の殉教は、古今東西枚挙に暇の無いものですが、ヴォルフラーツハウゼン、かつての小邑『ヴォルフレフーズム』でも、殉教者を再評価するだけの気概があったという証左です。
ヴォ市を訪問する者は、究極的にはその内実までも見透かされる事を、自覚すべきでしょう。
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