一昨日の15日付けの、朝日新聞朝刊のコラム『天声人語』は、数ある同コラムの名文の中でも、秀逸のものでしょう。「筆の力」の圧倒されました。
日本の風物や俳句・詩句をさりげなく引用し、日本語や漢語的表現を潤沢に駆使し、『武器輸出三原則』を大きく融和した現政権の右傾化を、「面舵いっぱい」(右への舵きり)とやんわりと、それでいて「平和憲法」・「平和国家」に反する行為として、厳しく批判しています。
冒頭で、1月15日に因んで、「小正月」の火祭り行事『左義長』を紹介して、俳人金子兜太さんの反戦句を呼び出します。 それを「不戦への志」として、論述の軸足を定めます。
それに反して、「年越しのどさくさに紛れて」、『武器輸出三原則』を緩和したことを批判しています。 その根拠として、『三原則』が「平和憲法」の看板の一つと、位置付けています。
「なし崩し」も「素知らぬ顔で踏み出した」も、かなり怖い表現です。 「戦後日本」の刻んできた「不戦の歳月」を真っ向から否定するものとして、「自民党もこれほどは・・・」とまで強調してまで、野田政権の特異体質を浮き彫りにしています。
「現実追随の政治」を「危うい」ものと捉える視点は、長らく日本の政治を見つめ、過去の歴史に思いを致す思考回路が研ぎ澄まされてこその、含蓄の深さに説得力があり、読者をも痛感させます。
思えば、大正デモクラシーの申し子とされた、『護憲三派内閣』が、治安維持法の制定によって、その後20年の日本の破滅的破局の嚆矢となった、歴史的教訓を踏まえ、危惧を持って憂えているのでしょう。
不幸にして、その「いつか来た道」が繰り返されるとするならば、この2012年1月15日付けの『天声人語』は。歴史的な警鐘として、最大限の不幸の後に生き残った少数の日本人によって、回顧されるでしょう。
もちろん、そのような事態を避けるのが、真の政治家の務めであることは、明らかです。
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