先日、視察報告書を執筆中に、東北の東日本大震災の被災地の自治体について、被災を「奇貨」として、復興を国の事業、ナショナルプロジェクトに格上げする、あるいは、国や県から可能な限りの補助金を吸い寄せる、といった事柄を強調する自治体の姿勢がありました。
私は違和感を抱きました。基礎自治体が、国や県の補助を可能な限り受けようとするのは、日常茶飯事ですが、それ以上に、災害を利用したどさくさ紛れの資本主義原理の臭いに、気付いたからでした。
自治体は、様々な復興計画を速やかに、纏め上げていました。古代中国の兵法家『孫子』の言説を借りれば、「拙速」をむねとすべしです。が、この「スピード感」なるものが、「曲者」ではないかと考えています。
その「曲者」の本性を見抜いているのか、現地の市議会議員の中には、市執行部からみて「わからず屋」がいるらしく、批判勢力となっているようでした。
本日の「公明新聞」の4ページの記事、『3・11東日本大震災と「災害資本主義」』をヒントに、多くの謎が解けたようです。 本来ならば、「しんぶん赤旗」の専売特許となりそうな、「資本主義」の原理を、部分的ながら、間接ながら、批判しています。
逆に「しんぶん赤旗」の名誉のために、別件を論ずるれば、本日の9ページのコラム「朝の風」で、「保守的な教団でも」脱原発の声明や姿勢のあることを指摘しています。
「たかが政党機関紙」で片付ける勿れです。両紙の記者の幅広く正確な知識に感銘しました。政党の綱領と相容れない、場合によっては敵対する勢力のイデオロギーや宗教についても、常にその沿革や論拠を熟知しているのです。
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