以前にも、この日記に記述したかと記憶していますが、小学生時代の逸話を述べさせていただきます。
何人かの友達と下校の道すがら、要するに道草での、一人の発言が、今になって面白く思いだされます。
すなわち、「初めに出来た言葉は日本語である」といった主張でした。その証拠に、自然に声を発すると、「ア」とか「イ」とか「ウ」となる、というのです。この「まず日本語有りき」の「根拠」は、子ども同志の会話としては、説得力のあるものでした。
私は当時半信半疑でしたが、現在では、きっぱりと否定できます。それぞれの言語環境に育てば、その親達の、特に母親の言葉が「マザー・タング」であり、基礎的な発音を形作るからです。
それに、子育てを経験すると、子どもの例えば「ア」といった発音でさえ、「イア」とか「ユア」といった発音を、標準的な「ア」に矯正されたものであることに気がつくからです。
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