同じ過ちを延々と繰り返し続けて来たのが、残念ながら人類の歴史であろう、と常々考察して来ました。
近代国家の三権である、立法・司法・行政それに、別枠として宗教と加えた場合、この人類の宿痾である「過ち」から、最も遠ざかった距離に位置するのが、司法の判断であり、就中、下級審の判断である、という確信をいだいています。
最高裁判所は、時の政治権力の僕であり、その背後には、「同じ過ちを延々と繰り返し続ける」集団が、とぐろ巻いているからです。
福井地方裁判所から、人類の存続を最首とする、「仮処分」が出ました。 何よりです。 個別の利益調整の集積からは、決して得られる事の無い判断です。 これこそが、司法判断の妙味です。
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