安全保障関連の諸法案が、衆議院の委員会で審査されています。 「平和法」とか「戦争法」とかの所謂レッテル張りも、政争の具の一つとなっているようです。
本音で論じ合えば物議を内外に醸す事を熟知している、賛成と反対の両陣営が、あくまで建前論で論じ合ている、と私は考えています。 自分達の発言が、後でどのような波紋を投げかけるかを、予め熟慮したため、発言が拘禁服を着せられた感があります。
中国の膨張主義への対抗策とか、北朝鮮の核兵器への対応策、軍事的な相互依存・補完関係を築かなければ、米国との安全保障関係も機能不全に帰する、といった危惧などは、院外では論じ尽くされているもの、と私は推察します。
軍事的に一つの新たな事象が発現すれば、連鎖的に同方向の傾向が続く、とされる「ドミノ理路」は、その途上での反作用の十分な可能性を想定しない、あるいは冒頭から捨象する嫌いがあります。 それに、国際輿論の力もあるでしょう。
そのドミノ理論の不確実性が、対論の果実の育成を妨げているようにも思われ、残念です。
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