明治時代の女流作家、樋口一葉の短編小説『にごりえ』を読みました。 私は、一葉については『たけくらべ』を、高校生時代に現代国語の授業の延長で部分的に読んだり、時々テレビの朗読などの視聴で一部分の引用に触れるのみでした。
『にごりえ』は、1950年代のオムニバス映画を、2000年前後にテレビで視聴しています。「お力」さんの生態を演じた女優淡島千景さんの演技と、ショッキングであっけない結末が印象に残っていますが、原作に触れて原文を通して読むのはのは、今回が初めてでした。
ほぼ同時代の幸田露伴の『五重塔』は、大工の女房の描写から始まったかと記憶しています。 こちらのヒロインのお力も、その台詞も、周囲の情景や登場人物の個性も、文章形式が似通っているせいか、江戸情緒ならではの、粋や張を基調として、生き生きと描かれていました。
丁度、落語家(噺家)の語り口のように、ト書きと台詞も渾然一帯を成し、括弧での区別もありません。 流暢に澱みなく文章が延々と続いて、忘れた頃に段落となって、やっと句読点が来る、といった具合です。
それぞれの中に、「草津温泉の唄」や「歌舞伎用語」などがちりばめられており、私も年の功でその洒落が、辞書なしで理解出来て、成る程と思うようになった次第です。
もっとも、限られた社会と行動範囲、何よりも20歳代の初めの段階で、この文学的センスの域に到達しているのが、正に奇跡です。 一葉自身、かなり幼少時代から早熟な文才を発揮し、10代の中に、師匠について、文学修業をしたようで、その後の試作や様々なプロットの短編小説を上梓して、文学界の反応を判断した上での、見事さのようです。
題名の『にごりえ』が『濁り江』であるならば、「水の濁った入江」を意味し、その無秩序で非生産的な世界に身を沈めて生きる女の悲劇が、哀愁を帯びて身に迫ってきます。
但し、かなり刹那的で享楽的な男女の痴態や、お力の悲惨な生立ち、口先一つで騙し騙される人間関係、身を持ち崩した男と、その家族の犠牲など、明治の日本の暗部を描くだけで、その根本的な社会問題改革あるいあ改良の提起には至っていないはが残念です。
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