早朝のNHKラジオで、幼女の独唱の唄が放送され、全く偶然に、ある曲を知る機会に恵まれました。 この僥倖が無ければ、私は生涯この文化遺産を知らずに終わってしまったでしょう。
曲名は『流れ星』。 かなり古風な詩や旋律から、大正時代から昭和初期の作品をを、リバイバル的に紹介しているものと思われました。 童謡の名曲として列挙される事は無いので、紹介がなければ、出会う縁の少ない佳作です。
部分的に音程が半音程外れた歌い方ですので、余計気になりました。 曲の三番は、夜明けを歌っており、丁度午前5時台という時間の経過もあって、抒情性が増幅され、私の心に響きました。
昼間の用事を済ませてから、「流れ星」と「童謡」の二語で、インターネットで検索したところ、1928年の中山晋平の作曲と判明しました。 作詞は野口雨情ではありませんが、雨情に師事した、菅野都世子という女性です。 独特な詩興ですが、あの時代ならではの高踏的な作風です。
♪ 暗い美空の流れ星 何処へ何しに 行くのでしょう
林の果ての 野の果ての 誰も知らない湖に
喉の渇いた お星様 お水を飲みに 参ります
子どもっぽく語順が前後反復するので、一旦最後まで聴いて、最初から聴き直し、更に、文字に表記して、また読み直して、はじめて詩の全体の意味が取れる、といった、彼の時代特有の産物です。
中山晋平が手抜きばりの作曲をすれば、このような穏やかかで平板な旋律となるのではないかと思われるほどに、印象に残らずに、多くの聴衆の耳から取りすぎてしまいそうです。
西条八十が作曲し、成田為三が作曲した、1920年完成の童謡『かなりあ』の出だしに、なぜか似た印象が残ります。
注目すべきは、1928年、昭和三年といった、作詞・作曲の時代背景です。 この年は、国内では、2月20日に『第一回 普通選挙』が実施され、3月15日には『日本共産党』が『治安維持法』を根拠に弾圧されました。 「満州」では6月5日『張作霖爆殺事件』があり、「世界の潮流」としては、8月27日『パリ不戦条約』の調印がありました。
明と暗の中で、日本の進路が結果的に悲劇へと方向づけられた分岐点の年でした。 これは、作詞者、作曲者、レコード録音の児童歌手の身辺にも、徐々にその歪が及んできたのではないかと察します。
しかし、この文化を生み出した人々とは別に、この童謡『流れ星』といった文化の価値は、一時代、一地域、一分野に止まりません。 それは、87年後の今日の早朝にさえも、満天の美空を駆け巡って、彼方へと沈む遊星となって、かすかな光芒と余韻を放ち続けるものなのでしょう。
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