政治家が自分の主義・主張を正統であるとして、表明・表現するのは当然の事でしょう。
この場合、政治および政策的な主義・主張の正当化である限りにおいて、「正統」は、全く順当であるといわねばならないでしょう。
しかし、政治家の置かれた立場は、自身の新たな主張によって、新たな賛同者と反対者を生ずることにより、常に移動します。
その移動、すなわち不安定さを超克しようと思えば、必然的に逓次「自己」正当化に「勤し」まなくてはならなくなります。 そうなると、政治・政策ではなく、正に自己中心主義、更には、自己愛へと傾くのです。
政治家にとって、傍観者、第三者としての客観的な事実、自己を抜きにした事実は存在しないのと同じです。すべての事象が、自分の価値判断を基盤とした上で、存在理由のある事象となるのです。
その際、全面的な肯定も、全面的な否定も、馴染みません。 なぜなら相対的な価値判断の枠外の在るものは、政治論戦の対象外となるからです。 部分的な適否を、賛否比較考量した判断の表明となり、常に自己正当化が付随するものです。
コメント