夜の10時頃から12時頃まで、豊岡にあるアイポットビル内の映画館(シネマ・コンプレックス)、『ユナイテッド・シネマ入間』の第1スクリーンで、映画『シン・ゴジラ』を4DX(フォー・ディー・エックス)の上映方式のもので鑑賞しました。
なかなかの力作でした。 ゴジラが徐々に進化して、通常兵器では手に負えなくなる、といった設定でした。 最初ゴジラは大東京の広大な住宅地や高層ビル街ではスケールの小さい存在でした。
ところが何と、破壊力も耐久力も、最新兵器を凌駕する「想定外」の存在となってしまいます。
この映画は、特殊撮影の技術を駆使して、従来にない効果を生んでいます。 ゴジラが東京湾を大田区から上陸した直後の映像が2011年の『3・11』の津波の市街地への来襲を連想させます。
また、特に高層ビルへのゴジラの破壊活動によるビルの崩壊が、2001年の『9・11』のニューヨークのワールド・トレーディング・センター・ビルの崩落を想起させます。 現代の日本人には、かなりの現実感をもって、受け入れられると思われます。
脚本は、国や東京都の防災計画や、自衛隊や米軍の武器装備と威力を厳密に参照した上で、安全保障問題を中心に据えて、伝統的な日本の統治機構の短所について、長所を交え、組み込まれて書かれています。
演出方法として、字幕で役職、組織、会議名等を示した上で、簡潔なセリフが目まぐるしく展開します。 それも「あり」かなと一応納得できます。
政府内部では、決定の実質的・究極的・最終的な意義よりも、当面の国民世論の反応を優先して閣議に臨む内閣総理大臣の判断、様々な小細工を弄する官僚たち、といった日本の政治の弱点をさらけ出します。
ところが、総理大臣以下の主要閣僚が、想定外のゴジラの反撃で揃って死亡するという事態を迎えます。
権力部内はこの非常事態を、「首脳部が行方不明」と取り繕って、責任逃れの権力構造的指向で人事が進みます。 その結果、押しつけられて図らずも「総理大臣臨時代理」に就任した農水大臣が、存外賢い判断をしめす件では、日本の統治機構の二枚腰的な強靭さが、図らずも「実証」される事になります。
圧巻は、ゴジラ撲滅の窮極的な対策として、東京に核爆弾を投下する動きが国際的に共通認識としてまとまる、といった顛末です。
日本は実質的にまたまたアメリカから、ヒロシマ、ナガサキに次いで、3回目の核攻撃を、それも日本の首都東京・トウキョウが受ける、といった超非常(識)事態を、日本国政府が甘んじて受け入れる設定です。
もっとも、核爆発に先だって、そうはさせじと、それ以外の方策として、血液製剤によるゴジラ退治の模索を進める官僚、学者などのグループが登場します。 この制約された制限時間の勝負のせめぎあいが同時併行して展開します。 唯一ここが救いであり、それによって、ともかくゴジラの破壊的な活動が、ひとまず停止した状態で映画は終わります。
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