日本史を学習最中に、平安時代末期から鎌倉時代初期の公家九条兼実(1149~1207)に興味を持ち始めました。
藤原家に生まれて、有職故実に長ける事で政治的な地位は目指す者ものの、政争に巻きもまれる事を避けます。 が、東国の源頼朝と接近し、鎌倉幕府確立期に助力し、その見返りに摂政兼太政大臣となったのもつかの間、後白河法皇の反発を買って関白に「格下げ」となり、結果的には失脚。 頼朝にも利用されたようでもあります。
ところが、仏教史に名高い法然の著書『選択本願念仏集』を依頼したり、実弟の慈円の歴史書『愚管抄』を動機付けたり、死後、源氏との女系の姻戚関係から、孫の道家が関白となり、曾孫・玄孫がロボットとはいえ、鎌倉幕府の第四代・第五代将軍(藤原将軍)となるなどなど多彩です。
日記『玉葉』が歴史資料としての一級の価値を有し、不動のナンバーツウーとして日本史上必須と言える程の、存在感と安定感があります。