私利私欲の政治があったとします。
勿論表面上は、公営を標榜するでしょうが、特定の個人や、特定の集団に奉仕する政治は、そもそも極端な檀家に達する前に配乗され、また長続きもしなでしょう。
しかし、独善的な政治はどうでしょうか?
私利私欲の要素が為政者がわに皆無であって、たまたま為政者の政治思想と共鳴する故に、為政者が金銭的な見返りを受けずに、政治を素抗する場合です。
政治は、相互に「ゆきすぎ」を咎め、相互に「監視」を絶えず、三権分立が実態として機能する必要性があります。 特に問題は、誰が見ても弊害のある事項を糊塗してしまった場合、その「誰が見ても弊害にある事項」が、生きてしまうだけではなく、それが標準として、跳梁跋扈する事態に陥るといった、取り返しのできない危険性です。
東アジアの某国の場合、為政者の「私利私欲」が、自他ともに「私利私欲」として自覚されない程に、政治が麻痺しています。
コメント