かつて、日本国内の食料事情等の、国内矛盾を海外に転嫁する国策がありました。いわゆる『満蒙開拓団』です。
長野県伊那地方で、この国策に積極的に協力し、敗戦後の満蒙からの逃避行のさ中に、多くの人々は悲惨な死を遂げた方々が多くおいでになりました。
その報に接し、『満蒙開拓団』を送り出した責任を痛感し、自ら縊死した村長の悲劇も伺っています。
しかし、それでは政治家の責任は取れません。
国内矛盾の海外への転嫁といった、根本的な矛盾に立脚し、「開拓地」は偽りで、現地の農民を排除した「既存の農地」であることに、いち早く気づき、「開拓団」派遣を阻止した村長こそが、政治家の責任を全うしたといえます。