『雪』の研究者として高名で、随筆家でもあった中谷宇吉郎氏の文章を、インターネットの青空文庫の検索で、垣間見る機会がありました。
『国防と科学』です。1937年10月の東京朝日新聞の掲載されたものです。盧溝橋事件で日中戦争が本会的に激化始めた時代背景が、ひしひしと感じられます。
検閲の時代であり、ましてや多くの国民の目に触れる大手新聞のジャーナリスティックなコラム記事なので、かなり遠回しで、意図的に逆説にして、カモフラージュした部分すらもあります。
しかし、「科学の精華は花である。花は古来腹の足しいにならないものと決まっている。(国防に)間にあうものは科学者の方なのである。」まで引き延ばして、学問の本質と軍事研究が相容れない関係性に立つものと、結論付けています。
学術研究の追究するものと、軍事技術の発展とは、極めてアイロニカルに「国防に関係ありそうな純学術的の研究の発表などをあまり気にする必要はなかろう。」と、切り離し仕分けているのです。
(軍事的な)実用性は個別の科学者がに担っても、科学が、学術団体として本来追究すべき事象では無い、とほのめかしています。
文中で当時としては際どさの最たるものは、「研究の発表はその学者の頭を豊かにする一つの方法で、その上ギブアンドテークの原則で、外国の学者の研究を吸収する上にも必要なものである。」などと、一国の軍事機密の空き入る余地もないのです。