市議会議員の立場として、市教育委員会の主宰する社会教育事業、あるいは生涯学習事業を念頭に、「学習の」施策がどうあるべきかを考察する習慣が出来ています。
本日読んだ細胞生物学者永田和宏氏の論考で、学問とは、問題を解く事ではなく、問題を「問うこと」事である、との意見に触れました。すなわち、学習は学問では無い、といった厳しい命題の提示です。
高度な専門知を基盤に、答えの無い分野にこそ果敢に飛び込み、その混沌の中から法則性を見出そう、あるいは作り出そうとするのが学問である、と言った趣旨です。 その際に、学者の「専門知」の敬意を払おう、とする信念が伺えます。
学術会議が政府の機関としての存在する意義も、その辺りに在るのかも知れません。かなり「学者バカ」な領域であり、政治とは馴染まずはずは無いものの、政治への直截的な意見具申の仕組みは、維持すべきでしょう。
また、学問的成果の社会的有用性は、事と次第によってはかなり膨大です。