オピニオン・リーダーとして一時代を画した堺屋太一氏の用語では、『行事誘導政策』と定義されたいますが、私なりの浅い理解と薄い解釈で『祭事政策』とさせて頂きます。
催しによって、それが文化イヴェントでもスポーツ・イヴェントでも、参加者それぞれを、刺激する事で、創意工夫を喚起する、或いは従来の発想を超えた『知恵』を惹起する、それらの相乗効果で、新たな経済社会を形成する可能性を、指摘されて来ました。
確かに、『1970年の大阪万国博覧会』の開催頃までの日本では、刺激策による経済の活性化は、日本国家の第一優先の課題でありました。この『祭り』が一過性のものとは分かっていても、物珍しさに誘われて、国民一般にも文化や文明を論ずる、様々な手掛かりが提供されました。
当時は光のまばゆさに幻惑されて、『影』の部分は、さほどに言及されませんでした。
しかし、2021年の日本では、祭事の根本的な問題である、一過性の祭事に不可避の、大量廃棄、それも回収の不可能なエネルギーの拡散が、最重要課題です。
現在の課題は、半世紀前には従属的な地位に呻吟していた、『影』の側面ですが、現今では、議論の全ての大前提として、根底に横たわっています。