諸般の事情を総合的に考察すれば、SDGsを普及させるのは、当面の合理性があると考えます。それは、仏教の高度な協議を衆生にいきなり理解させるのでは無く、暫定的に仏法の原理からは逸脱しても、一定の段階に引き上げる事を以て良しとする僧侶の説話に近いものがあるでしょう。
が、それは最終目的であるべき、とは私も考えていません。 自分自身も、SDGsを一つの指標としてはいますが、既に実際はそれよりも上回る環境対策を実施し、前提とする生活を日々営んでいます。
斎藤幸平氏の著作『人新世』は、画期的な文明論・政治論を展開しています。が、SDGsを「まさに現代版『大衆のアヘン』」といった下りは、いかがな物かと考えました。
ものには、段階を踏んだ順序といものがありますし、その段階性は必須です。 まずSDGsを出来得る限り実践し、「大衆」がそれに馴染んだ後、それよりも一段進んだ理念を普及させるべきでしょう。
もっとも、特に環境への負荷の甚だしい産業は、即刻排除すべきでしょう。
例えば、南アフリカで、膨大な土砂の掘り出しと、膨大なエネルギーや労働力を用いて、わずかのダイヤモンドを採掘する鉱業などは、真っ先に消滅させるべきでしょう。
一方で、映像技術の発達による、自宅に居ながらにして、単横出来るスポーツイヴェントやコンサートについては、希望が持てます。 競技場や会場の基本構造から観客席を捨象・除外してはどうかと考えるからです。 これならば、建造物の環境負荷を100分の1程度に縮減し、競技者や演奏者に最適な環境も確保できると考えます。
SDGsで啓発された人類の、段階的に向上した環境意識を以てすれば、映像技術による、環境負荷の低減実現の道は、意外と期待します。
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