コマーシヤルフイルムとは、元来指摘利益を追求する企業の、直接的には商品やサービス、間接的にはイメージアップのために制作され、テレビなどを通じて広く放映されるものでしょう。したがって、その第一義は販売促進であって、その社会的な有用性や芸術性は、二義的な地位に止まらねばならない、と考えられます。
たとえ芸術作品として優れているとか、後世にも印象に残る作品として不滅の輝きを放つとしても、肝心の販売促進効果があり、具体的に取り扱っている商品の販売が明らかに伸びなければ、コマーシャル=商業、としての役割を果たさなかったという事になるでしょう。
それつけても痛感するのは、選挙活動での街頭演説の意義です。選挙活動を自身の日頃の主義主張の発表の機会である、と考える候補者も存在するのは事実です。これが当選の見込みを無視しての活動であるならば、単なる「売名行為」とみなされても仕方がないでしょう。
しかし、ある程度当選の見込みの上で、「選挙戦」の最中に、「政見」を披瀝するのは、本来の政治活動であり、選挙活動でもあるのです。もっとも、政治活動と選挙活動は別である、と割り切った方が結果は芳しいもの厳然たる事実ではあります。
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