本日は、飯能市の市議会議員選挙の告示日でした。陣中見舞いに伺った陣営もありました。私宮岡治郎の住んでいる入間市西武地区はかつて、1943年から1953年まで飯能町の一部であった時代があり、飯能市とは地理的、歴史的、経済的、広域行政的、地縁・血縁的に深い関係が有ります。
私の祖父宮岡茂助は、現在の入間市西武地区に相当する地域が、かつて元加治村であった時代の最後の村長として、飯能町との合併によって村長の失職し、同時に飯能町の町会議員に就任しています。敗戦後の1953年(昭和28年)には、私の祖父宮岡茂助や父宮岡徳次郎の反対にも係わらず、現在の入間市西武地区が飯能町から分離して西武町となった経緯があります。
健全な悟性としての常識的な判断としては、現在の入間市西武地区は、飯能市の東の地区の一部であった方が、地方自治の行政単位としては妥当であったと考えられます。今となってはそれは適わぬことでしょう。せめて、入間市西武地区が飯能市と緩やかな広域行政の単位となるような、柔軟な施策が必要と考えます。
この度、西武町成立後、56年が経過しても、この行政単位の不具合は、様々な形をもって現れていると考えられます。元加治駅周辺の整備は勿論、水道事業、加治丘陵の保全、更には図書館行政、円照寺周辺の文化財保護にまで、不具合は及びます。
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