人類の歴史上、一地域や一国家、あるいは一時や一時代に止まらず、普遍的な価値判断基準の視点から、後世の世界的な評価を受ける人物がいます。ここで私は、16世紀末に李氏朝鮮の水軍の提督であった李舜臣と、18世紀前半に活躍したドイツのバロック音楽の作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハとを、並べて論じようとしています。奇異に感ずる方も多いかと存じます。
しかし、人類の歴史史上、「万代の木鐸」たる人物は、一地域や一時代の限られた利害得失を判断基準とする周囲の人々からは、正当な評価を得にくかったのは事実であったでしょう。
李舜臣にとっては、当時の李氏朝鮮の王朝を擁護するというよりは、朝鮮民族の文化的な同一性を保持する、といった究極の人生の目的意識が窺われます。正面から迫る、豊臣秀吉に強制された日本の侵略軍、背後からは永年の政争によって腐敗堕落の極みに達した両班達、側面からは援軍と称して、属国としての朝鮮への支配力強化を図る明軍、と文字通り四面楚歌の状況なのです。
バッハは、ケーテン宮廷に楽長として就任し、職責を果たすのですが、宗教的な悩みがあったようです。すなわち、キリスト教徒であっても、バッハがルター派であり、ケーテンのレオポルト公爵がカルビン派であり、その宗教的な相克があったためです。単に報酬の多寡の問題ではありません。
李舜臣とバッハに共通するのは、「民族愛」や「宗教的敬虔さ」といった、あらゆる民族、あらゆる宗教信者に通ずる、人類の普遍的な価値観に忠実であったといった事項でしょう。そして周囲に、空間的にも時間的にも、限定された価値判断をする人々によって、正しい、正当な評価を得られなかった、といった真の愛国者や芸術家の悲哀を味わったという事でしょう。
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