多くの住民は、政治について自己の私的な動機付けによって、政治的な要求や投票を行う場合が多いかと思います。それらの諸々の要求を集約し、一定の方向に進めるのが、政治家の役割である、というのが政治の本来あるべき機能でしょう。
ところが、多くの政治家は、政治決定について自己の私的な動機付けによって、政治的な主張や表決行動を取る場合が多いものです。
なぜならば、私的な動機付けによって左右される選挙の洗礼を経て、何らかの政治的なポジション(地位とは敢えて申しません)に有る政治家は、私的な動機付けをする有権者と同質のものである場合が多いのです。
有権者が、自己と同等の目線で社会を考察する人に一票を投ずれば、高度な行政機構を対象として、公的な判断の際にも、究極の場面で、有権者の「私的動機付け」が、威力を発揮してしまうのです。
政治とは、黒白の判断をしかねる問題を争う世界です。勿論、黒白に限らず、それを超克するような解決策が理想です。しかし、政治家そのものが私的な動機で討論を重ねれば、黒になるか白になるか、或い足して2で割るような、灰色の判断しか余地は無いものです。
政治的な高度な判断とは、政治家の「心裡留保」や「腹芸」と従来呼ばれてきた、「好ましからざる」挙措の中にこそ、息づいているのかもしれません。
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