中国古代以来の儒教が日本に輸入され、日本の中世から形成された武士道の源流となっていることは、疑いの余地のないところでしょう。私的な利害得失や、他者に対する個人的な好悪などの、いわば下部構造的・動物的ともいえる感覚や行動様式を踏み越えて、その上の世界、形而上学的・人間的な世界の中に身を処し、その見地から人生の価値観を追求する、といた求道家としての心構えです。
その究極の到底点の一例として、論語では「志士仁人は、生を求めて以って人を害することなく、身を殺して仁を成すことあり」、葉隠には「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」があります。今から2500年前の中国の華北でも、今から300年前の日本の肥前でも、本質的には同じことが説かれています。
偶然に、字面が似ていて内容が異なる場合もありますので、今の段階では、私の浅学非才ぶりを暴露することになるのではないかとも考えました。が、思想的な系譜や、時代背景、著者の個人的な特性、などなどによる相違点よりも、大まかな共通点・共通項を大切にしたい、と常々私は考えます。
通例では、立派な行いは「君子」の本分であり、「君子は、・・・」と綴られるのに、ここでは「志士と仁人」を主語としています。まさか「君子危うきに近寄らず」の延長線上に、君子は事なかれ主義に終始すべし、という事かも知れないのです。まさかとは思われますが、気になる事です。
葉隠でも、単なるナルシズムに陥ることなく、社会的な義務を念頭に、自己犠牲をも厭わない、と解釈されるべきでしょう。思想は、個人的な安心立命に止まらず、社会的な有用性があって始めて、生きてくると思われます。
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