8月6日は、人類の存続のための反核平和宣言の日と考えられます。「反核」は勿論、「反戦」も大切な要素です。積極的に平和主義を唱えると同時に、戦争に至る国の指導者や国民一般の、「戦争への動機付け」の仕組み、特に為政者から巧みに仕組まれた「作為」を見抜く、といった判断を国民が養う必要性もあるでしょう。
昭和初期の軍国主義への道程を含めて、「漠然とした不安」と感じ、様々な複合的な事情によって、自ら命を絶った作家芥川龍之介は、平和主義者として社会の、特に知識層の作為的な行動様式に、ある種の危険性を感じ取っていたようにも考えられます。
龍之介の1916年(大正5年)に発表した、小説『手巾(ハンカチ)』は、当時の最高の知識人で国際人でもあった新渡戸稲造をモデルとし、新渡戸の「武士道」への賞賛を、究極的には演劇の「臭い演技」と並べて論じ、それ気付いた長谷川教授(新渡戸がモデル)の不快感で結んでいます。
この世を不条理と捉え、皮肉や諧謔を浴びせ、万事懐疑的な芥川ならではの作品といえるでしょう。「武士道」の一表現形態とされる美徳であってさえも、欺瞞ではないかとの扱いです。あらすじは以下の通りです。
大学教授長谷川は教育者としての立場から、専門外の演劇理論書を読んでいます。そこへ病気によって大学生の息子を失った女性が、息子の恩師にその旨を報告に訪れます。女性は「武士道」が理想とするような気丈な振舞いでありながら、教授が偶然感知したのは、テーブルの下では持参したハンカチを握り締めて悲しみをこらえています。女性が帰った後、読みかけの演劇理論書では、同様な状況の演劇手法が、「臭い演技」として否定的に記述されています。
長谷川教授が、一学者に止まらず、その「令名」によって、教育者として広く青年の道徳的向上を目的に、自説を機関紙で流布する立場にあり、まさにその原稿に取り掛かろうとした矢先の逸話としているのが、味噌といえるでしょう。芥川龍之介は、架空の設定でありながら、新渡戸自身も、そのような欺瞞を内々意識していたのではないかと推察しています。
様々な悲劇に対して、国民に忍従を強いる、というのがそもそも戦争への準備となるのではないでしょうか。国民的な犠牲を「閑却」する為政者は、忍従する国民があってはじめて成立するものでしょう。
私宮岡治郎は、「武士道」については、あくまで個人としての修養と負担、犠牲の上で実践する限りにおいては、肯定的に評しています。国民の中の少数にそのような階層があるのと無いのとでは、国の政治・経済・文化に格段の差が生ずると考えるからです。
しかし、広く国民運動として、国民に犠牲や忍従を推奨する政治や教育界の動きには反対します。それは、都合の良い策動家たちによって、軍国主義への道標となるからです。
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