有り体に言えば、人類の歴史とは、有史以来存在した総ての人々の一生涯の作用の集積と言えるでしょう。最もそれでは、学習の対象が際限無く拡大し、捕捉が不可能ですので、理解のための方便として、何らかの歴史を象徴するような出来事や人物に焦点を当てて例示し、それを一通り学習すれば、学習過程は終了となるのでしょう。
近代の戦争の惨禍の歴史でも、ゲルニカ爆撃、重慶爆撃、南京(大)虐殺、ドレスデン爆撃、東京(大)空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下などが、その歴史的象徴性や被害規模の甚大さによって、歴史教科書に特記されています。
ところが事実認定が、比較的不明瞭な出来事となると、その間隙を縫うようにして、政治の介入が始まります。そして、単なる犠牲者の人数などに論点が移動して絞られて、歴史的な背景から切り離されて、最後には歴史学者の人格の問題となったり、時の政治的な思惑に左右されて、物別れに終わります。
ゲルニカ爆撃については、スペイン内戦最中の1937年に、フランコ(反乱)軍を支援したヒトラー総統のドイツ空軍による、人類初の無差別爆撃が実施され、その後の戦争で一般市民を標的とした空爆の道が開かれ、究極的には人類滅亡につながる、「非戦闘員に対する組織的な加害行為」の嚆矢となった点が、歴史教育で重要でしょう。スペイン出身の画家ピカソの絵画『ゲルニカ』も、歴史教育の定番となっています。
重慶爆撃は、日本軍が中国本土内陸で退却した中国国民党の拠点であった都市重慶への1938年から43年までの無差別爆撃である、といった歴史的な視点が重要でしょう。日本本土に対する米軍の大規模な無差別爆撃を論ずる前提条件として、先に加害者であった日本の位置を歴史的に検証する必要性はあるでしょう。
南京(大)虐殺については、その殺害した人数、「便衣隊」と呼ばれる攪乱グループをスパイとして、その殺害を正当化する論法などが交錯します。極論すれば殺害したのはスパイだけであり、何ら問題はないというわけですが、少なくとも限定された殺害は認めているようです。
フランスでは、1940年から45年にけてのナチスドイツの占領時代に、「レジスタンス」という抵抗勢力が存在しました。抵抗勢力が占領軍の要人殺害を実施したり、逆にドイツ軍がレジスタンス狩を実施しているでしょう。「レジスタンス」=「便衣隊」と基本的には結び付けられます。
歴史的な評価はいかなるものでしょうか。侵略勢力側が抵抗勢力側を殺害する場合と、侵略されている側の抵抗勢力が侵略勢力側を殺害する場合の比較考量です。戦時に於いては、スパイは軍人でもなければ民間人でもない、国際協定でも保護の対象とはならない、したがった殺害しても一向差し支えない、との国際法の機械的な解釈による強弁も成り立たないでしょう。
ドイツの中部ザクセンの都ドレスデンへの1945年2月の爆撃については、英米軍による戦略爆撃であり、先のゲルニカというよりも、1940年の英国本土爆撃の報復といった要素が強いようです。
東京(大)空襲の場合、証拠写真は極めて少ないものの、実際東京府民の住宅が標的となったので、住宅焼失、罹災者数、そして犠牲者数が性格に把握できます。後日談として、米軍の司令官が戦後自衛隊の発展に貢献したとして、日本国政府が勲章を渡したとこに対する賛否が問われています。
沖縄戦では、地上戦による犠牲者の数が、総人口に対して相当に高いことが指摘出来るでしょう。これは明白なので政治的な争点にはなりません。集団自決に至る過程でどのような事実関係があったのか、が争点となります。
広島・長崎への原爆投下については、直近に人類滅亡の可能性が迫っているので、全世界の教科書で学習の対象となるでしょう。政治的な論争といった生ぬるさは入り込む余地も無いでしょう。
歴史学習を象徴化した場合の盲点は、南京(大)虐殺だけを論じた場合に顕著となります。日本が一方的に侵攻したした中国大陸への派兵は数十万人にも及びます。食料を始めとする生活物資を、日本の領土から輸送しただけで充足したはずは有り得ません。
「現地調達」となりますと、これが現地の住民との合意や適正な金品を対価とした調達であった、と証明出来ない限り、この戦争が中国国民党軍や中国共産党軍だけと敵対した戦いではなく、中国民衆一般と敵対した戦いであった、と見做すべきでしょう。
歴史上戦争や植民地支配に住民虐殺は付き物である、といった罪の相対化に堕することなく、事実の隠蔽を黙認するのではなく、責任を他に転嫁するのでなければ、自明の理についての正当な理解を基に、包括的な普遍的な反戦平和主義に立脚して一論すれば、総ての矛盾は解決するのです。
21世紀の今日、世界の趨勢も、宗教対立や例外的な独裁体制の悲劇は散見されるものの、イデオロギー対立や人種差別は急激に衰退しています。頑迷なイデオロギーに固執する人々や、人民の苦境を閑却する人々は、この夏の終わりと共に、政治の舞台を去ることでしょう。
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