刑事事件の裁判で、被告は自己に不利益な供述を強要されない権利を有し、日本国憲法は第38条で、基本的人権として保障しています。被告の弁護士も被告と「口裏を合わせて」黙秘することが当然あり得るわけで、これは弁護士としても義務のようです。
政治上の論争でも、似た傾向があるようです。すなわち、政党が党の主義主張や政党綱領、近くは政権公約(マニフェスト)でも、その具体的、個別的な矛盾について問い詰められても、正面切って答える事はなく、論点を移動して答えるのが一般的です。
政党や会派、政治家個人でも、組織や団体、支援者を背景として、一定の条件で政治家としての立場にある場合、自論の部分的な修正ですら、即座に実行出来ないようです。修正は基本的な主張の撤回に結びつく可能性があり、政党や会派、支持者のグループに持ち帰って、合意を得る必要が有るのかもしれません。党派的な政治の限界を見る思いです。
本来ならば、政治家は忌憚無く自説を展開すると共に、「万機公論ニ決スベシ」であり、自説を論難された場合、即座に反駁するか、論難を受容して、自説を部分的にも撤回すべきでしょう。私宮岡治郎は、支持者から包括的な支持を得ている、と自負しておりますので、本来型の政治家と言えるでしょう。
ところが、自分にとって自分が主人ではない、といった政治家が、支持母体にとっては「都合の良い政治家」なのです。すなわち、団体で支持するからには、その団体の利益に違わず政治活動、政治行動をするのが好ましいものでしょう。
自分に不都合な事実までも表明出来る政治家が、本来政治家のあるべき姿である、と考えます。ところが、政策や議会の議決の文章についてすら、すり合わせによって、原案が変更される事態を、事の外怖れているのが現状です。
政治は硬直化し、取り分け地方自治が中央政党の下請け的な存在となり、代理戦争機関となるでしょう。私宮岡治郎などは、この手の政治家からは嫉視されてもいるようです。
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