政治とは、成文化された法律に基づく執行が原則の行政とは、かなり異なった性質がある、と思います。政治とは生き物であり、時間や状況の変化とともに、刻々と変化する性質があります。勿論、議会は、予算審議や立法府として、法令や条例を議決する権能もあります。「朝礼暮改」は論外ですが、法令の機械的な適用の弊害から市民の生活を守る、といった逆説的な機能も重要でしょう。
昨日の夕方、入間青年会議所のメンバーが来訪し、今月28日(金)に開催される『まちづくり集会場トーク』について、資料を持参し、一通りの説明を伺いました。私宮岡治郎は、既に参加の打診に対して、参加の返事をしています。参加する市議会議員は、私を含めて3名であることが、今回判明しました。衆議院選挙の終盤であることが、出席率の低さに影響しているようです。
その後、青年会議所メンバーから、9月12日(土)に開催する『入間の未来を考える会』もあり、承諾しました。青年会議所の主催です。開催の目玉は、入間市長の『マニフェスト』(政権公約)を1年後に検証する事のようです。昨年の入間市長選挙は、候補者3名の『マニフェスト選挙』となりました。
政治とは結果責任である、というのが私の自論です。それは、政治家の「動機付けの善良さ」をもってさえも、失政の責任は免れない、といった厳しい視点が含まれています。「動機付けが邪悪」で、結果が市民にとって、好ましいものになる可能性は、まずないでしょう。
ところが「マニフェスト」は、前以って宣言している内容であり、必ずしもそれが適用され無い方が好ましい、状況が生じようとも、「マミフェスト」に違えた行政執行は、「違反」となってしまうのではないでしょうか。これが「マニフェスト」の呪縛の厳しいところです。
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