目先の利益をちらつかせる、あるいはばら撒きを行う、などの人気取り政治の弊害を指摘する向きもあるようです。が、政治は、愚か者ばかりで成り立っていない事は確かです。政治の振り子が一方に大きく振れたなら、次は逆方向に作用するのは理の当然でしょう。
政党とは何か? と自問自答する今日この頃です。私のような保守系無所属の市議会議員であっても、中央政党の党派から無色透明でいられないのが、政治の世界の特質です。私は、自由民主党員であり、「保守系」と自称した段階で、党派色はそもそも免れないところでしょう。
「政党」は、英語でparty ドイツ語でParteiであり、全体の中の「部分」を意味します。議会の中の一定の構成員の集団を意味するでしょう。つまり、「割拠」するものであり、全体を占めるものでは元からありません。
したがって、「一党独裁」も、「みんなの党」も、根本的に自己矛盾の合成語であるか、不適切な形容詞を冠している、といえるでしょう。「独裁」であれば、すでに「党」を超越しており、「みんなの」といえば、政党本来の権能を逸脱しているからです。
全国的な国政の政党も地方の地域政党も、たとえ当該の議会の議席の過半数を悠に越えてさえも「党」を自称し、その政治活動の範囲の、全体ではない多くの有権者あるいは住民の利益を代表している、といった姿勢はなかなか謙虚で健全な政治常識である、と思われます。
政党には元来綱領(プリンシプル)があり、選挙では近頃は政権公約(マニフェスト)も出てきました、その主義主張を持って、議会に臨み、建設的な論争の上で、最良の政治的な結論を導けば、それ良いのです。
私が常々志向するのは、政党や会派の主張が損なわれる事無く、すべてまかり通りさえすればそれで了とするものではありません。一定のゆとりを持ち、他党や他会派の発案であっても良いものはと取り入れる、といったゆとりをもった、言うなれば「お目出度い政治」なのです。
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