学校時代の社会科あるいは公民の教科書で、「国会議員は選挙区から選出されるが、選挙区の代表ではなくて、全国の代表である」。あるいは、「国会議員は一部の国民の代表ではなくて、国民全体の代表である」、といった主旨の記述があったのを思い出しました。選挙区の地域的な利益誘導に終始し、国全体の有るべき姿を顧みない国会議員の実態を嘆く、政治学者や政治教育者がしみじみと、政治家のあるべき姿を説いたものが、学説あるいは定説として定着したものと思われます。
確かに、国全体の利益が大きく、地域の損失が少ない事業を想定したとします。その事業を実施することによって、国全体の富が大いに増加し、当該地域へも利益が波及あるいは分与され、地域の損失を十分に補って余りある場合があります。
では、それぞれの地域的な要望が無視されて、国政が十分に機能するでしょうか。答えは否です。どんなに優れた政治家であっても、どんなにすぐれた官僚であっても、国会議事堂や議員宿舎、政党本部、各中央省庁の庁舎中で、日本列島を構成する各地域の実態を書面審査だけで判断するのは、不可能であるからです。地方に出向くとか、地方の各団体の陳情を受ける必要があります。
そもそも、政党の機能も、国民全体の生活や福祉を究極の目的としたとしても、一定の範囲の、一定の社会階層、一定の主義主張を有する国民の世論を代表しているものでしょう。政党とは、国民全体の支持に基づいて成立してはいないのです。
さまざまな、主義主張、利害得失を代表する国会議員の集合によって、議院内閣制による政権は成立し、与党と野党が仕分けられます。集合が実態であり、団結という言葉は、相当に作為的で便宜的です。
この際に、国政に当たる政治家は、自分の支持母体や選挙区の微細な、あるいは微妙な問題にまで通暁していなければなりません。この見取り図なくして、漠然と政党の綱領を機械的に支持母体や地域社会に当てはめたならば、支持母体や地域社会に、悲劇をもたらしさえするでしょう。
地方自治体の地方政治家が、中央政党の綱領や政策判断を鵜呑みにして、それを優先的に、地方の事情を従属的に、徹頭徹尾機械的に当てはめるような挙措があります。程度の問題とはいえ、地方政治家の中には、地域的な要望を地域エゴと捉える思考回路が出来ている者があります。
国会議員であるならばいざ知らず、地方自治体を活動拠点としながら、地域の正当な要望と単なる利己主義とを、峻別する事も無く、全く生活実感とかけ離れた、行動を開始する地方政治家です。その実態に、漫画的な諧謔と同時に、底無しの空恐ろしさを危惧する、今日この頃です。
あるいは、「地方議員である自分の意思に無関係に、現政権は上からの強権的な政策を執行する」、との間接的な圧力行使です。