午後4時10分頃から5時45分頃まで、豊岡のユナイッテッドシネマで、アニメ映画『ホッタラケの島』を鑑賞しました。入間市宮寺の出雲祝神社などが舞台のモデルになっているなど、入間市議会議員としても必見の映画でした。私の娘からも、観るように勧められていました。
使い捨てなどで、物を粗末にする社会風潮への教育的批判が、映画の制作目的の根底にあると思いました。主人公の少女遥(はるか)の孤独、不思議な世界での冒険と勇気を経(縦糸)に、放置された品によって出来上がった、多少グロテスクな世界を緯(横糸)に、主人公の人間的な成長が描かれ、それが同時に、現代文明への批判となっているようです。
人間が日常的に何気なく使い捨てる、少なくとも放置する行為は、その物の側からすれば『遺棄』すなはち「保護義務を怠る」行為であり、悲しい所業に対する恨みがこもるという事でしょう。
ボタンで目が作られていて、全く無表情の羊ぬいぐるみ『コットン』が、表現豊かな声で、主人公に「ボクも会いたかったよ」という場面は、胸に迫るものがありました。
主人公の少女が昼寝の延長で現われた、きつねの変容形態の『テオ』の後を追いかけ、不思議な世界に引き込まれるといった構成は、古典的な童話『不思議の国のアリス』に発案を得たものでしょう。
また、その不思議な世界で、専制的な権力を行使する『男爵』は、やはり古典的な童話『オズの魔法使』の魔女を連想させました。
音楽は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩や、ストラヴィンスキーのバレー曲の影響があるようでした。詳細に検証すれば、色々な発見がありそうです。
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