入間市議会の議会運営委員会で、三重県方面へ1泊2日の視察に向かいました。入間市駅に集合し、池袋駅乗換えで、山手線で東京駅。東京駅から名古屋駅まで新幹線。名古屋駅から鈴鹿駅までJRと伊勢鉄道の相互乗入れのディーゼル車でした。
昼食後、1時に鈴鹿市役所を訪れました。庁舎は15階建てで、平地の中に一つだけ目立った建物です。鈴鹿市議会は、議員数32名で、6つの会派構成となっていました。視察の主たる目的は、議会基本条例制定への取り組みですが、それと共に、会派代表質問制、予算決算常任委員会など、入間市議会の無い制度も参考になりました。
鈴鹿市の人口は20万人を超えていますが、人口の集中する市街地が3箇所に離れています。あえて市の中心地と思われる、市役所・市民会館等の公共施設のある『神戸』(かんべ)地区でも、シャッターを下ろした商店が目立ちました。紡績工場跡地などに、大型複合ショッピングセンターなどが林立し、ロードサイド店も多いためと思われました。
鈴鹿市の市域は、西北西方面では、延々と鈴鹿山脈の尾根まで続きます。海抜1,000m近くで、滋賀県と接しています山々の斜面から源を発する川の水を集める、鈴鹿川は市のほぼ中央部を東北東に流れ、北に隣接する四日市市で伊勢湾に注いでいます。鈴鹿市内の伊勢湾沿いは4つの漁港や、千代崎・鼓ヶ浦海水浴場を代表とする、自然の海辺となっています。
市庁舎から眺める鈴鹿市は、平坦な水田地帯や農業用水池、戸建の家が拡がっています。自動車工場(ホンダ)や関連工場(八千代工業、住友電装)、その他の大型工場(例:富士電機、旭化成)、その他の工場は、特に工業団地への進出ではなく、平坦な土地に任意に進出しているような印象を持ちました。
市職員の名刺には、市内の『鈴鹿サーキット』でのカーレースの写真や、レーシングコースの図案などがあしらってありました。レースの開催時には、日本全国から観客が集まり、宿泊施設や遊園地、天然温泉などの関連事業も含めて、地元鈴鹿市の税収に大きく貢献しているようです。
かつては、畿内から東国への通過点で、律令時代には伊勢国の国府や国分寺が置かれ、行政と宗教の中心地でした。古くから開けた白子(しろこ)港、戦国時代は北畠氏の神戸城、江戸時代は東海道五十三次の『庄野宿』の辺りが、現在も人口集中地区となっています。
戦時中の1942年(昭和17年)に2町12か村の合併によって市政が発足しました。戦時中の軍用施設跡地には、戦後平和産業が誘致されています。
議会運営について説明、質疑応答の後、議場などを見学しました。2004年の完成の議場は、最新の設備でした。議員や市執行部そして、議長の席にあまり段差は有りません。まだ未使用ですが、各席に庁内LANの端末も設置されいました。
3時頃に視察は終了し、鈴鹿市側のご好意で、マイクロバスで20分ほど離れた『鈴鹿サーキット』に移動し見学しました。コース内で、グランドスタンドの反対側の、コントロールタワーのモニター室まで案内されました。全体で最も中枢的な施設内で、競技中の監視や指示の説明などを受けました。
鈴鹿まで乗換え、近鉄本線で近鉄四日市駅まで行きました。下車後、駅近くで四日市市立博物館、三重北勢地域地場産業振興センター、市民公園の街区にある、『四日市都ホテル』にチエックインしました。
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