朝9時『四日市都ホテル』を出発し、徒歩で市役所まで歩きました。ちょうど、地元の小学生達が先生に引率されて、市立博物館に向かって行列して歩いているのを見かけました。先生も児童も全員マスクをしていました。近鉄四日市駅付南北道路も幅が広いものでした。
午前9時半頃から11時半頃まで、三重県四日市市役所を視察しました。10階の議会フロアーの東の角に位置する「来賓室」で、先方の議会事務局職員から説明を受けました。丁度、四日市市の臨海部の石油化学コンビナート群が、一望できました。
議会運営委員会での四日市市視察は、1998年(平成10年)以来2回目です。前回では、ケーブルテレビでの議会放映についてでした。その後、入間市議会では、本会議の入間ケーブルテレビでの放映が実現しています。
視察終了後、昼食は市内の鰻料理店『喜多川』で、『ひつまぶし』をいただきました。漢字では、「櫃塗し」となるようです。お櫃(ひつ)に入った、飯の上に細かく刻んだ鰻の蒲焼を、お椀に移して、三つの異なる方法で食べるものです。
四日市は鈴鹿市のように古代中世から栄えたわけではありませんが、江戸時代は、東海道の宿場『四日市』として殷賑を極めました。西部地域の山地では、緑茶の『伊勢茶』の一大産地となっています。
戦前から戦中は、海軍工廠として石油の備蓄基地となりました。1945年に米軍による9回の空襲があり、800名余りの死者と全市の35%の焼失、そして中心地の壊滅をもたらしました。
戦後は戦災復興事業として、幅広い都市計画道路が出来るなど、臨海工業都市として、日本の高度経済成長を牽引しましたが、一方で『四日市ぜんそく』の深刻な公害を発生させています。
また近年、臨海部に近いJR四日市駅周辺が、商業的に衰退が極端で、四日市市は、1987年から、「JR四日市駅周辺活性化事業」に取り組んでいますが、あまり成果を上げていないようです。四日市市議会でも、『対策特別委員会』が設置されています。
現在、四日市浜園旅客ターミナルと伊勢湾の対岸の中部国際空港セントレアとを結ぶ、高速船は、営業赤字への市費補填の問題で、市議会で紛糾した上で、運行が中止となっています。
コメント