DVDビデオとパソコンで、1994年制作のアメリカ映画『ショーシャンクの空に』を鑑賞しました。息子の勧めによるものです。142分に及ぶ長編を、休憩による中断無く飽きさせずに「見せる」映画でした。
主人公は、無実の罪で終身刑となり、入獄した刑務所内での「静かなる戦い」が、淡々と1947年から1966年まで継続します。
このような「獄中物」の通例通り、再審を求める獄中闘争が展開されると、当初は予測しました。しかし、アメリカの司法制度と受刑者の処遇は、現代ならばともかく、20世紀の半ばでは私の常識とかけ離れたものであり、主人公の戦いの方法も、映画鑑賞者の想像を遥かに超えるものでした。
主人公は、「娑婆」では銀行副頭取であり、高度な財産管理知識や節税実務能力を人助けに用いるきっかけが出来。その頃から、刑務所の刑務官からも、受刑者からも頼られ、信頼され、それが刑務所内の図書館の拡大など受刑者の待遇改善につながります。
映画を鑑賞する観客には、主人公については、終盤まで「待遇改善」への努力だけを描きます。それだけでも、十分に見ごたえのある作品となっています。
ところが、主人公の20年程の獄中生活は、刑務所長の汚職、刑務所内の腐敗を、マネーロンダリングに加担するなどによる、動かぬ証拠を持参して「脱獄」することで、自身の自由の回復とともに、「同僚」の受刑者の救済や、広く司法制度の一翼を担う刑務所の改善へと向かいます。
警察がパトカーを連ねて到着し、刑務所の看守主任を逮捕する場面、私服を肥やした所長が拳銃自殺する場面は、その究極の成果の場面です。
主人公の「静かな戦い」が、これほど大きな企てであったことは、終盤で畳み掛けるように判明します。絶望的な獄中で、目的意識の高さや目的遂行の為の、長期に亘る用意周到な計画性や継続力は、単に、自身の自由獲得のための「脱獄」を遥かに超えた崇高な行為であるのです。
但し、正当な手続きを経ない主人公の「出獄」の方法は、一瞬の光芒を放つに止まるようです。カタルシス(浄化)として鑑賞者の喝采は浴びるものの、後々は世捨て人としての人生を過ごすでしょう。
主人公が、刑務所長の汚職の確たる証拠を、警察ではなく、新聞社に送って告発する行為も、自身を無実の罪の陥れた、警察、弁護士を含めた司法権に対する、不信を前提として理解しなければならないでしょう。
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