今から2500年ほど前の中国思想家孔子は、自身の著作を残さなかったのか、自身の著作はあったものの後世に残らなかったのか、私には定かではありません。
現代人は、孔子の弟子、むしろ孫弟子達の代の頃に編纂された、師孔子の言行録『論語』によって、その思想の要点筆記に頼るに止まるようです。「巧言令色鮮なし仁」とか、「剛毅木訥仁に近し」とは発言しても、その発言者である孔子自身が、口舌や弁舌に長けていたことは推し量られます。
したがって、『論語』は、言葉を補って解釈する事が許され、言葉を補って解釈すべきと私は考えます。
顔淵第十二の七では、弟子子貢の政治に関する質問に孔子が答えています。
子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民之を信ず。
この後に、明敏で弁才のある子貢は更に、師孔子が答えにくい質問をします。朴訥な弟子子路では、ここまでは問わなかったでしょうし、たとえ質問しても、何らかの別の答えとなったのではないかと考えます。孔子は高い見識に基づいて、商才に長けた子貢には、政治を深く考える機会を与えたものと推測されます。
子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何をか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、この斯の二者に於て何をか先にせん。曰く、食を去らん。古より皆死有り、民、信無くんば立たず。
「軍備」を無くすのは当然として、次に「食糧」を無くす、といった孔子の言葉は、その結果の「古より皆死有り」によって、本心であることが証明されます。それ程までして守り通さなければならないのが「民の信」である、といった非常に厳しい説です。
その厳しい前提での、「信」の重要さを強調した言葉「民信無くんば立たず」ですので、この言葉には、単に「民の信用が無ければ政治は成り立たない」というだけではなく、反語的に「民の信用が無くて、どうして政治が成り立つであろうか。成り立つ筈が無い。」といった、激しい政治批判の意味を含有する、と私は理解しています。
コメント