深夜、日本映画『Dolls』をDVDとパソコンで鑑賞しました。息子の推奨作品の一つです。2002年制作で、監督は北野武。以下、全く解説書で補足せずに、断片的な感想を羅列させていただきます。
文楽の「道行」を、人形で最初に演じさせます。というよりも、文楽の上演を記録的に映します。その直後に、赤い糸ならぬ赤い綱で結ばれた、おそらく赤い綱の絆を引き摺るという意味の若い男女の「現代の道行」に場面が変わります。北野監督は、「常識人」では描きにくいシチュエイション(状況)を、映像化しています。
男が、自分の立身出世といった社会的な人間関係の歪や不条理、理不尽によって女を棄てました。女は薬物自殺未遂を起こし、命は取り留めたものの、痴呆となります。男は罪の償いとして、女の愛の執着への代償として、赤い綱で女と結び付きながら歩き続けます。この赤い綱は「人間の絆」を象徴しているようです。
この映画には、精神や肉体などで何らかの重度の障害を持った人々の登場が多くなっています。また、前置き的な説明を省略することによって、鑑賞者に、それぞれの想像力をもって補完して構成させる条件を提示しています。
老境に達したヤクザの親分は、兄弟分の襲撃を機転でかわし、逆手をとって倒す程の凄腕です。ところが、昔棄てた女が公園のベンチで弁当を持って待っているところに、用心棒の子分達を連れずに近づいて、ヒットマンにあっけなく殺されてしまいます。
女性アイドル歌手の、追っかけ男性フアンがいます。アイドルの交通事故に際して、その傷ついた顔を見ぬ為に、自ら盲目となります。谷崎潤一郎の「春琴抄」の佐助を引用しているようです。
以上の三つの物語が、同時平行的に展開し、「タケシ・ワールド」が展開します。シナリオとして言葉の少ない中に、人間の真実を洞察する、といったのが北野武の映画であり、愛は社会性によって虐げられ、究極的には男女の心中に至る、といった人間観察が反映されているようです。
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