視察先について論ずる場合、第一に地理的条件、第二に歴史的背景・来歴が、その地域の自治行政の施策を理解する上での鍵となるようです。
ここで話は脱線しますが、地形とは面白いものです。先日視察した、神奈川県秦野市については、視察前に予め国土地理院の2万5千分の1の地図を購入し、大方の地形のあらましについては把握していました。
その際にはあまり気に留めなかった事ですが、回想と現回想で、1994年の9月頃の旅行で小田急ロマンスカーで渋沢駅と松田駅の間を通り抜ける時に思いつき、第二は現実で、この度の視察で気付いたことです。
第一は、小田急渋沢駅から松田駅の間の山地の狭隘な隙間です。丹沢山地と渋沢丘陵との間に、僅かに川の流れがあり、盆地の水の一部が、松田駅付近で酒匂川と合流し、小田原へ向かい、相模湾の注ぎます。
渋沢丘陵は、ちょうど狭山丘陵のように島型に独立して存在しますが、太古の昔には水の浸食によって、丹沢山地から切り離されたものかと考えられます。
第二は、渋沢丘陵といった名称そのものです。大磯丘陵という名称が一般的であろうかと思います。が、秦野盆地の中の地名である渋沢を盆地を囲む丘陵の名称とするのは、ごく自然のことでしょう。
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