政治の局に在る政治家(執政者)が、政治な便宜や、国民向けの方便として発した言葉が、政治家の本心を度外視して、字句どおりに解釈されたり、新たな政治舞台の標語となりうる事もあるようです。
1970年前後の沖縄の本土復帰についての日米交渉の中で、「核抜き本土並み」を国民の納得を引き出す便宜として発せられた、時の佐藤首相の「非核三原則」も典型的な実例のようです。
すなわち、「持たず、つくらず、持ち込ませず」です。誰か政治的ブレーン辺りの発案であろうかと思いますし、佐藤栄作氏のそれまでの政治経歴からも、その後現代に至るまで発掘される客観的資料からも、この言葉が本気で唱えられたとは到底信じられません。
しかし、日本国憲法が、押し付けられたと感じる国民と同時に、国民の自発的、少なくとも潜在的な願望を体現した憲法と受け取る国民も多いものです。「非核三原則」は、その後衆議院でも議決され、日本の国是となっています。これによって悲願が達成された、と積極的に評価する国民の存在は、平和国家日本として貴重でしょう。
当初意図した事とはある意味で偶発的に異なった発生の形態を取り、それが現実社会で出自と関わり無く、時代の思潮として定着した例も歴史的にはあるでしょう。
1956年度の経済白書が、経済統計学的に「もはや戦後では無い」と記述した語句が、広義に拡大された事もあります。
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