去る27日、入間市議会交通対策特別委員会で川口市を視察しました。いただいた資料によりますと、2007年2月5日に、川口市は「構造改革特区による30㌔速度制限構想」を表明しています。
この構想は、「特区提案」として、同年6月に内閣官房・内閣府に「生活道路における最高速度規制要件の融和」、すなわち、速度制限を警察から、道路管理者である市に権限移譲として提出されました。
結果的に、同年8月、政府の構造改革推進本部から「対応不可」との回答がありました。
資料を素読みにすれば以上ですが、その際に川口市と国との相当な応酬や葛藤があったのではないか、と私宮岡治郎は推測します。
私宮岡治郎は、2007年2月9日に、岡村川口市長の挨拶を聴いた事があります。4日前に、「構想」を表明された直後です。その後「特区提案」、「対応不可」となりますが。岡村市長はこのような結果を既に覚悟していたのではなかったかと、今にしして思い出します。
埼玉県市議会議長会議員行政研修会に入間市の副議長として、川口市の『川口総合文化センター』の11階の大会議室で、前列に座ってのことです。
岡村市長は、単に開催地の首長としての外交辞令ではなく、地方分権と税源移譲などについて、現実をふまえた、多少国の総務省の官僚批判を含んだ、辛口の挨拶をしました。「特区提案」に対する反応が芳しくなかったのかとも思います。何か、自分自身に言い聞かせるような口ぶりでした。
今でも鮮明に覚えているのは、挨拶が終了し演壇を去ってから、再び戻って、「誤解の無い様にと」補足的な説明をして、何かきっぱりとして面持ちで、何の愛想もふり払わずに会場を去りました。
市議会議員と市長とは、かくも責任の重さが違うのかと、思い知らされる一コマでした。
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