夜事務所で、作家中島敦(1909年~42年)の小説『虎狩』を読みました。「虎」といえば同作家の代表作とされる「山月記」を連想しますが、こちらの方は実際の逸話をつなぎ、少年時代の友人を主として描写した、半ば自伝的小説でした。
作家本人が小学五年生から旧制中学の生徒時代の京城(現在のソウル)や近郊を舞台に、「半島人」である趙大カン(換の字の手偏を火偏に替えた漢字)という同級生の屈折した心情を、発表当時(1942年頃)の検閲にかからない範囲で、間接的な表現を連ねて、表現しています。
「韓国時代」と当時の日本人が呼んだ1910年の日韓併合以前の『李氏朝鮮』の時代には、「両班」と呼ばれた貴族階級を出自とする趙は、同じ民族でも狩の際の「勢子」を務める使用人であるような、庶民階級に対して差別意識を色濃く残しています。それが「虎狩」の際に表れます。その気位の高さと、「日本の統治下」の民族差別という現実との落差の間での煩悶が増幅されます。
作家は、内地の知識階級に生まれ育ち、旧制度の小・中学校時代を「外地」である、朝鮮半島で過ごしています。旧制高校からは内地の戻るのですが、少年時代の様々な逸話は、自身が転校生として味わった苦い経験を投影しています。明敏な感受性や鮮やかな記憶と共に、後に30代の知性で反芻されます。
作家の代表作『李陵』に登場する司馬遷の心理描写に通ずるところもありますが、知的な関心事としてだけではなく、相当の同情を交えての趙の思い出であり、植民地支配といった大局の矛盾を、問題視している事が良く分かりました。
冒頭に野生の虎の威力を物語る例えとして、逸話があります、「ーーその頃の朝鮮は、まだ巡査の威張れる時代だった。ーー」として、その巡査が虎に対峙した時の「うろたえ」を例示して、暗に、植民地支配を批判しているものと思われます。
また、自身、読方(国語)の時間(授業)で、「児島高徳」の「天勾践を空しうする勿れ」を引用して、不愉快な思い出としているのも、間接的ながら、この時代特有の単一的な価値観に基づく歴史観の「皇国史観」を批判しているでしょう。
歴とした漢文学者の家系に生まれ、中国古典や漢籍に関しては、極限に近いまでの造詣を有する中島敦から見れば、「皇国史観」など取るに足りない、との意識ではなかったかと考えます。
小説の構造は、「虎狩」を中心に据えているようでもあり、無いようでもあります。少なくとも「虎」を象徴する自然の驚異に対峙した、複数の人間側の力関係は、その形態をむき出しにするもののようです。
文章の配置が前後するのですが、数年後の出来事が先に描かれます。趙が、中学校での軍事訓練の「露営」で、上級生の「日本人」達から、私的制裁を受ける場面は、風景や状況の描写ばかりで、真相に迫るものではありません。この作品は、首尾一貫性に欠けます。
その中の一つの章で、本人が趙に誘われて、「三越」の熱帯魚を見に行く場面があります。水槽に中を泳ぐエンゼルフィッシュと思われる、熱帯魚の観察の鋭さは見事です。
また。私宮岡治郎は、1990年代の前半に、「旧三越京城支店」である「新世界(シンセゲ)百貨店」を訪れたことがあり、かなり感情移入が出来ました。丁度、池袋にあった、三越の支店のような建物でした。
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