裁判で、刑事事件は量刑を問うものですが、民事事件は民法等の規定の適用に拘泥せず、当事者双方が折り合えば、それを以って解決に到ったと見做し、判決を出さないといった柔軟性のある構造となっています。それが、(民事・家事)調停です。
裁判で、当事者の訴訟代理人である弁護士は、基本的に「争い」といった訴訟の構造や、当事者との報酬契約の性質から、妥協無く「攻撃と防御」の応酬を展開するものでしょう。が、その「成果」の指標である判決とは、当事者の双方にとって、「納得出来る」例は少ないものと思われます。
裁判とは、「勝訴」とか「敗訴」といった言葉が示すとおり、「勝敗」⇒「勝負」の世界である、と容易に想像されます。
調停は、当事者と中間に入り中立的に行動する「第三者」を交えた話合いの場を設定し、双方の歩み寄りによる妥協点を探索するもので、裁判(判決)とは、構造的に異なります。
極めて雑駁な印象を根拠、私なりに拡張して類推しますと、議会の区分では、国会が裁判的であり、市議会が調停的である、と考えます。
多くの場合、政党の公認候補として小選挙区や比例代表区、あるいは中選挙区から選出され、議会で丁々発止のやり取りのうえで、多くの場合極めて微妙な判定に持ち込まれた上に、勝負がはっきりしているのが、国会でしょう。裁判での訴訟代理権を持った弁護士に類似すると考えます。
一方、市議会では、議員の多数派は無所属で、政党の公認候補を含めて、大選挙区から選出されます。共通の全体の選挙区から選出されているのが特徴で、「特長」であるとも思われます。
したがって、市議会議員は、民事調停や家事調停に制度やその均衡(バランス)感覚から多くを学べるのでは無いかと考えます。
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