著作権で問題があるかも知れませんが、インターネットのUチューブで、昨晩から本日午後にかけて断続的に、朝鮮戦争(1950年~53年)のカラー映像を観ました。2001年にアメリカのテレビ制作会社が、放映用に実写画像を編集したもののようです。
およそ2時間ほどの作品ですが、なぜか中国語の字幕が付いており、アナウンス解説が英語で漢字の字幕で補って解釈しました。
国内で同一民族が殺しあう悲惨さが、当時の朝鮮半島の四季折々の自然の美しさや、伝統的な建物群の整然とした優雅さと、極めて不釣合いでした。
冒頭に近いところで、アメリカが傍観者として撮影した、以下のような場面がありました。戦争勃発か月前のことです。韓国軍による、北朝鮮スパイ(と見做された?)若者を20数人を並べた、集団銃殺刑です。胸に丸い的の標識の布を付けて撃たれますが、即死しない場合は、近づいてピストルで頭を射抜かれます。冷酷であると同時に合理的で、予め準備された棺に直ぐに納棺されます。
戦争は北朝鮮側の急襲で始まります。北軍は38度線を南下し、ソウルを攻略します。在韓アメリカ軍は、退却に退却を重ね、半島の南端の釜山とその周囲に追い詰められます。
そこで、マッカーサーの賭けで、仁川に上陸し、金浦飛行場奪還、首都ソウル奪還の後、38度線を北に超え、北軍を中国国境付近で追い詰めます。
ここで、中国が戦争に参入します。冬で凍った鴨緑江の氷の上を「義勇軍」が渡ります。中国を主力をする北軍は盛返し、38度線を南下し、再び首都ソウルを攻略し、更に南下して止まります。
ここで、アメリカ軍を主力とする南軍が、再度首都ソウルを奪回し、38度線を越えたところで、戦線か膠着状態となります。
アメリカ国内で厭戦の世論が高まり、1952年の大統領選挙で停戦が争点となり、当選したアイゼンハワー大統領は、板門店での停戦交渉を推進して、事実上戦争は終結します。
首都ソウルと周辺は、2往復の地上戦を受けて荒廃しました。地政学上の宿命もありますが、国内での内戦で劣勢に立った側が、外国の軍隊を導入してまでも勝利を目指す、といったおろかな政治指導者のもたらした惨劇であると考えられます。
戦線が南北に早く移動するのも、当時の朝鮮半島の住民に、政権や政治、更に軍隊に対して殆ど信頼性が無かった証左ではないかと考えました。日本の植民地支配の後遺症でもあったでしょう。
また、米中が、朝鮮半島といった第三国ではあるものの、直接地上戦で干戈を交えたことがあるのを、再認識しました。
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