法学の入門書の前書き辺りに、時々引用されている諺(ことわざ)に、「良き法律家は、悪しき隣人」というのがあります。教訓的な問題提起で、その後に「法律家を目指す皆さんは、そうはならない様に心掛けながら、法律の勉学に励んで下さい。」といった、著者の注釈や忠告・激励が続くようです。
この諺の出展は諸説あるようですが、不確定です。誰かが何らかの事情で身近な法律家と揉め、法律家ならではの理屈につくづく辟易した際に手紙か日記に綴って残した言葉が、様々な意味に広く、時には恣意的に解釈されて、後年諺として定着したものか、と私は推測します。
諺の前段と後段は、「は」という順接の助詞で繋がり、それでいて前段には「良き」、後段には「悪しき」と正反対の形容詞が冠せられます。同一人物が、「法律家」と「隣人」との類型で、正反対の評価の対象となるようです。
この諺は、「悪しき隣人」の方に重心があるように思われます。そこで単に「法律家は」と云わず、「良き法律家は」と対置させて、「たとえ良い法律家であってさえも、隣に住めば悪しき隣人とならざるを得ない」といった、かなり辛らつな意味合いが隠し味となっているやに思われます。
英語では、”Good lawyer, bad neighbor” となるそうで、韻も踏んでいる等、憎いほど良く出来ています。
社会的有用性は十分認めるものの、あまり身近にあって欲しくないものとして、公共の所謂迷惑施設と、個人の人格を備えた法律家を、同列に扱うのもいかがなものかと考えます。
私なりに、諺の真意を理解する手掛かりとしては、夏目漱石の小説『草枕』の冒頭の言葉を思い返しています。すなわち、「智に働けば角が立つ」です。「悪しき」は難物の、圭角の、といった位の意味合いかと考えます。
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