小津安二郎監督の映画『東京物語』(1953年制作)の科白の中に、「戦争はもう懲り懲りじゃ」というのがあります。正確には尾道弁で、「せんそうはもう、こうりごうりじゃ。」といった発音となっているかと思います。
戦争で二人の息子を全て戦死させた父親が、「せめて片方だけでも、生きていたらと思うちょります。」との「愚痴」(として表現するが、父性愛としての真実)に続く科白です。この映画作品が、さりげなく「反戦映画」としての本質を示す、意外と重要な場面です。
尾道から長男・長女家族を尋ねて上京した老夫婦が、様々な意外性に遭遇する中で、夫(笠智衆)の市役所でのかつての同僚で、今は東京で代書人(行政書士)を営んでいる男(十朱久雄)から聞かされる言葉です。
主人公の側も、次男を戦死させているのですが、他の子供たち、長男、長女、三男、次女、それに次男の嫁(原節子)は健在で、「欲を言ったら限(きり)が無い」と思い知らされるきっかけとなります。
日本人である限り、先の戦争に関して、「他から請求される」以前の問題として、それぞれの立場に応じて一定の「加害者責任」の意識を持って欲しいところですが、「戦争はもう懲り懲りじゃ」には、それらを含めた幅広く深い意味が込められいるようでもあります。
それに、この場合「戦争はもう、こうりごうりじゃ」と尾道弁、すなわち広島県尾道市の言葉が、「ヒロシマ」を連想させる効果も含まれているのか、と思いました。
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