多くの知識や経験を健全かつ的確に整えるには、見識を培っていなければならないと痛感しています。
何らかの発言や講演、新聞記事やテレビ討論などを見聞したとして、その中から妥当な判断を出来る人が、以外にも少ないのが悲しい事実のように思えてなりません。
いくら知識や経験を蓄積しても、それらは断片的なものであり、健全なる悟性を以って系統だてて、更に再確認して、初めて「見識」に達するようです。
歴史を振り返れば、同様の過ちの例がいくらでも転がっている、というのにもかかわらず、一時の時代思潮や周囲の雰囲気に惑わされて同調し、あるいは自己の当面の保身のために意図的に迎合し、相も変わらない過ち、轍(わだち)を踏む事の、なんと多い事でしょうか。
若い時の、抽象的な思考力の鍛錬や、壮年期の胆力の養い、それらが特に政治家には必須の条件のようです。
また、「見識」の前提条件・必要条件として、「胆力」といった、精神力や精神的ゆとりが、必須であるとも考えました。
すなはち、自己の側に、何らかの疚(やま)しいものがあったり、何らかの劣等観があったりしますと、相手の指摘を恐れて、先制的に攻撃的になったり、話題を本題からそらそうとする生ずるようです。
これでは、事物の本質を突くような、実りある議論は、望むべきもありません。
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